公演再開「芦刈」「千手」を終えて
富山県宝生会春季能楽大会での「芦刈」、金沢能楽会定例能での「千手」と、二つの舞台を無事終えることができました。二週連続でシテを勤めるなどということは滅多にないことで、ありがたいことと思っております。どちらか一方がよく演じられるポピュラーな曲ならもう少し楽だったのですが、どちらもそういった曲ではないので少し大変ではありましたが、無事終わってホッとしております。
「芦刈」は、貧しさから離縁した妻と再会する話で、コロナの自粛で仕事もなくずっと家にいた自分と重ねるところがありました。とは言いながら能の常で、再会よりも、それまでに見せる芸や舞が曲の見どころとなっていて、離縁して芦売りとなった夫が「芦」(あし)と「葦」(よし)は同じものであると芦の話をしながら芦を売ろうとしたり、仁徳天皇が都を構えた難波津の景色を愛でながら笠を持って舞を舞ったりして、一曲を通して動きの多い曲です。富山は申し合わせ(リハーサル)がなくぶっつけ本番というのが少し不安なところで、途中笠を放り投げるところなどもあってそこもうまくいくか(失敗すると舞台から外に落ちてしまう)心配でしたが、ちょうどいい場所に落ちてくれました。妻が従者に、あの男から芦を一本買うように命じ、夫が芦を持っていくと妻と気付き、恥ずかしがってその芦をパッと落として逃げる場面もあるのですが、芝居的な演技が求められるところで面白い場面、果たしてうまくいったでしょうか…。中入(なかいり)がなく、途中装束は改めるのですが、「物着」(ものぎ)と言って舞台上で着替える形。出ずっぱりになるのでなかなかに大変な曲です。
「千手」は南都焼き討ちを行った平重衡が捕らえられ鎌倉に送られたところを、頼朝に命じられた千手の前が慰める話で、死を目前にした重衡と、それを励まし酒を勧め、舞を見せる千手の前との心の交流を描いた能。世阿弥の娘婿・金春禅竹(こんぱるぜんちく)の曲で、しみじみとした味わいのある曲ですが、一方では地味で玄人好みという面があります。これも「芦刈」同様中入がなく、「芦刈」は直面(ひためん)と言って素顔なのですが、千手は女性の唐織姿で更につらいものでした。唐織着流し姿で舞を舞うものはそんなに数がなく、初めてでしたが、やはりいろいろと気を遣い、難しいものだなと思いました。大袖の舞を舞う装束と違い、袖を返したりもしませんし、ごまかしがきかないようなところがあります。最後、重衡は勅命によりまた都へと送られていきます。最後二人が見つめ合い、すれ違って別れていく場面が一つの見せどころで、難しい場面です。人づてに「千手」を見ながら泣いていた人がいたと聞き、まだまだ自分でそこまでの芸ができるとは思っていませんが、また頑張ろうという意欲が湧きました。
今後もしばらくは入場制限など我慢の時期が続きます。東京を中心に感染者も増えていて心配です。劇場でのクラスターもあり、これは定員180名程と小さい規模の劇場で、体調の異常を感じながら出演を続けていたらしく、しかも感染が広がる新宿。これを元に舞台全てに対して危険という認識を持たれてしまうのは困ります。能楽界では舞台上、客席ともに密を避け、感染を抑えられるようでき得る限りの対策をして公演を行っています。舞台・客席含めるとかなり広い空間で、楽屋も仕切りはなく、端から端まで見渡せるようになっています。せっかく再開された公演がまた中止ということがないように祈りたいです。